何が「自分のもの」なのか? ~「自由を手に入れる方法」を読んで~

作業法・思考


こんばんは。
ピクセルアニメクリエイターのおかか容疑者でございます。


ストア哲学の思想。
以前ご紹介した「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(「多様性の包摂」のために。~「Web3とメタバースは人間を自由にするか」を読んで~ )の著者・佐々木俊尚さんが、Voicyでたびたびこのストア哲学について話をなされております。
その考え方がかなり面白いなと感じ、これは自分でも一度知っておきたいと思いましたので、良さそうな本を探してみました。
前回「たまには古典にも触れていきたいですね」と話したばかりなのに早くも古典モノ。






というわけで今回は、「2000年前からローマの哲人は知っていた 自由を手に入れる方法」(アンソニー・A・ロング(訳:天瀬いちか))についてお話しいたします。






全体の感想

エピクテトスに学ぶストア哲学。
ストア哲学に関する有名人には「自省録」の哲学皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスや、ストア哲学の開祖ゼノン(名前が格好良すぎる)、暴君ネロの教育も務めたセネカなどがおります。


その中でエピクテトスは、もともとはエパフロディトスという有力者に仕えていた奴隷だったのですが、後に自由民となって哲学の講義をするようになった人とのこと。
どの人物もそれぞれ名言が残っておりますが、眺めていてエピクテトスの考え方が特に面白いなと感じましたので、彼について詳細が書かれている本を選んでみました。


エピクテトスに関して歴史上に残されている書物は主に「要録」と「語録」という2つ。
「要録」はエピクテトスの考えが合計53節、滔々と書かれているものです。
シンプルだが味わい深い言葉が並んでおります。
対して「語録」は、実際に講義をしているエピクテトスと参加者とのやり取りをアリアヌスという人が記録して書き留めたもの。
そのためコチラは対話形式でかなり読みやすいです。「入門用」と言われるのもわかりますね。


この本では最初にエピクテトス自身の話や彼の生きていた時代背景の話、エピクテトスの考え方の要点などが著者によってまとめられ、その後に「要録」と「語録」について注釈や仮見出しなどを加えて読みやすくしながら、実際の文章を並べております。
日本語翻訳もかなり読みやすく、とりあえずストア哲学に最初に触れてみるにはかなり良い本ではないかと思いました。


エピクテトスの生きていた時代は神という存在を中心的に据えており、その宗教的な背景から現代では受け入れがたい話もございます。(「神が人間を創った」という概念が強いんですね。)
しかしながらその考え方の根本、エピクテトスの説く心構えというものは現代でも通用するものだなと思わされます。
人からの評価とか悪い出来事への対応とか、どれだけ人類が長く生きていても抱える問題ってだいたい同じなんですよねえ。そういったことを再確認できる教えではないかなと。




注目ポイント

それでは今回の注目ポイント。
「第2部 精神の自由を得る 『語録』より」より引用いたします。



我々に与えられた、心の平静を得るためのたった1つの方法を身につけようとは思わないだろうか。
その方法とは、いずれ消え去るとわかっている些末なものへの執着を捨てて、失われることのない、あなたが自由にできるものだけに意識を注ぐことである。

2000年前からローマの哲人は知っていた 自由を手に入れる方法(アンソニー・A・ロング)

「盛者必衰」「諸行無常」と言った言葉は、我々日本人としては馴染みの深いものですね。
その概念が含まれた言葉がローマでも広まっていたのだなと、驚きというか、この考え方の普遍性を感じられました。
世の中にあるものはほとんどが滅んでいきます。
そしてそういったものに執着する限り、「いつ失うだろうか」という不安はずっとつきまとうことになる。


ストア哲学の考え方で特に面白いなと思ったのが、「善悪の区別の仕方」ですね。
すごいざっくり言うと、ストア派が善悪を判断するものは「自分でコントロールできるもの」だけなのです。コントロールできないものは「善悪とは無関係」という考え方で捉えています。





──「では、健康であることを願うな、ということですか?」
むろん、そういうことになる。
あなたの思い通りにならないものは、それが何であろうと願うべきではない。あなたが望んだ瞬間に手に入れられないもの、実現できないものとは、要するに、あなたの思い通りにはできないものなのだ。
そんなものには欲望を抱かないほうがいい。というよりも、欲望そのものを遠ざけたほうがいい。

2000年前からローマの哲人は知っていた 自由を手に入れる方法(アンソニー・A・ロング)

別の箇所からの引用ですが、このようにエピクテトスは「自分の肉体だってコントロールできないのだから、健康であることなんて願わない方がいいよ」とまで話しております。
過激な意見ですが、しかしこれは確かに真理だなと思いまして。

手足を失う、とまではいかずとも、我々は普通にケガだってするし風邪も引きます。
これらは自分が望んでなることはまずないですよね(「学校・会社を休みたいから」とかはあるかもしれませんが……)。
なので体も「自分でコントロールできないもの」、すなわち善悪とは無関係なものと捉えた方がよいわけです。
そしてそれは富や財産といったものも含まれます。一般的に考えて健康や富は「善いもの」として捉えるかと思いますが、ストア哲学はここに疑問を投げかけております。


では、何が「自分でコントロールできるもの」なのか?
それが「自分の考え方」

例えば予想外のアクシデントなど、自分に都合の悪いことが起こっても、その出来事自体は単に「善悪とは無関係」なもの。
ここで「よかった」「悪かった」と意味づけをしているのは人間の側だけなんですよね。




我が子が遠くへ行ってしまったり、財産をなくしたりして、悲しみに暮れている人がいても、「この人は不幸な目にあった」という心像に流されてはいけない。
すぐさま、「この人が悲しんでいるのは、起きた出来事のせいではなく、この人自身の考えのせいだ(だから、同じ目にあっても悲しまない人がいる)」と、考えるようにしなくてはならない。

2000年前からローマの哲人は知っていた 自由を手に入れる方法(アンソニー・A・ロング)

再度引用ですが、だいぶシビアな話もしております。
同じ出来事が起きたとしても、人それぞれ反応というものは変わります。
それはなぜか?
受け取り方の解釈がそれぞれ異なるからですよね。


自分の精神以外のもの、それこそ他者であったり財産であったりというものは常に失う可能性がございます。
たいていの方はこれらのものを大事に扱うと思いますので、もし失うという場合は予期せぬ事態なのがほとんどなのではないでしょうか。

自分でコントロールできないもので大切なものを失うという事は往々にして起きることです。
だからこそ物自体には執着しないようにする。自分が注力するのは自分で確実にコントロールできる、自分の内なる想い。
「自分でコントロールできている」と思っているものは案外多いと思いますが、実は本当にコントロールできるものってとても小さいところからなんですよね。
ここを自覚しておくのはとても大事なことだと思います。


常に自分で感情をコントロールして反応する、というのはもちろん一朝一夕にできるものではありません。
起きた出来事に対してどういう反応を自分は返すのか?
人生というのは、永遠にこの修行を続けていくことなのかもしれませんね。






まとめ

本日は「2000年前からローマの哲人は知っていた 自由を手に入れる方法」についてお話しいたしました。

ストア哲学って響きだけで見るといかにも難解!みたいなイメージがしますが、実際に触れてみるとそんなことはなくて、人々が幸せに生きるためにはどうするか?ということをできるだけ嚙み砕いて伝えようとする。そんな感触です。
単純にこういう考え方を学ぶのって楽しいと思いますので、「違った視点で物事を見られるようにしたいな」と思っている方は是非に。





さて…そろそろお時間です。
またのご面会、心よりお待ちしております。

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