こんばんは。
ピクセルアニメクリエイターのおかか容疑者でございます。
タイパ(タイムパフォーマンス)という言葉が叫ばれて久しい現代。
効率の良い選択をして自分の時間を大切に使っていこう、という考え方はワタシも大いに同意で。
「素早く大きな結果を出す」というのは現代社会の仕事などにも求められている部分だと思います。
今回はそんなタイパ的な考え方をするにあたって、おそらくよく名前を聞くであろう本をご紹介いたします。
本日はグレッグ・マキューンの「エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする」についてお話ししていきましょう。
全体の感想
著者の説くエッセンシャル思考とは、「より少なく、しかしより良く」をコンセプトとしている考え方です。
自分が本当に重要と思うことのみに集中する。
そうすることでエネルギーを一点集中させ、大きな成果を残すことができる。
多くのことをやろうとすると全ての方向に1ミリずつしか進めず、結果が残せない。
ざっくりと話すとこういう考え方です。
この本では「エッセンシャル思考の人」と「非エッセンシャル思考の人」という対比を頻繁に用いながら、エッセンシャル思考になるとどう変化するか?どうやったらエッセンシャル思考を持てるようになるのか?など、様々な角度からこの考え方について書かれております。
この考え方、言われてみれば当たり前のように思えるのですが、現代はとかく「できる事」が多すぎるのです。
あれもこれも、という考え方でついついいろんな事に手を出しすぎてしまう。
「何でもできる」という時代だからこそ、「全部はやらない」。何に対してイエスと言い、何に対してノーと言うか。
こういった決断の仕方で悩んでいる、という方には特にオススメします。
ワタシ個人の感想としては、だいぶ極端な思考であり、これをそのまま盲信するのもちょっと危険だなと。
しかしながら「確かに!」と膝を打つ部分は多く、現代を生きる指針の一つとして示唆に富む本なのは間違いないでしょう。
個人的には読めて非常に面白かったです。
注目ポイント
それでは今回の注目ポイント。
第一章「エッセンシャル思考と非エッセンシャル思考」より引用いたします。
私は相手の機嫌を損ねないためだけに「イエス」と言い、それによって家族と自分を傷つけ、肝心な顧客の信頼さえ失おうとしていた。
エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする(グレッグ・マキューン)
結局、何ひとつ得るもののない会議だった。仮に何らかの成果があったとしても、妻と子供を置いてまで行く価値があるはずもない。私はみんなの機嫌をとろうとして、もっとも大切なものを犠牲にしたのだ。そのときの経験から、私は大きな教訓を得た。
自分で優先順位を決めなければ、他人の言いなりになってしまう。
著者は自分に子供が産まれた際、妻のもとにいてあげることがベストな選択だと心ではわかっていました。
しかし会社からの電話で会議に出てほしいと言われ、それに応じてしまった。
その結果として妻と一緒にはいられず、クライアント(おそらく子供が産まれたという話を知っている)も顔色が微妙だったと。そして自分自身もまた、自分の判断に素直になれなかったことで嫌悪感を抱いてしまう。
会社はよかったかもしれませんが、幸せな選択だったとはとても言えなかったわけです。
この経験から著者が人の判断について興味を持つようになり、結果的にこの本が誕生した。大きなキッカケだったのですね。
この話を読んだときにワタシがすぐに思い浮かんだのが「マンホール」というお話でした。
これは以前定期的にテレビで放送されていた「世にも奇妙な物語」というドラマの話です。最近はたぶん放送されてないんだろうな…。
世にも奇妙な物語はいわゆるオムニバス形式の作りで、30分くらいの短めの作品がいくつか放送される形になっています。その中の一話ですね。
(以下「マンホール」のネタバレになります。昔の話なので細部は覚えておりませんが大筋だけ。一応折り畳みます)
主人公のサラリーマンが蓋の開いていたマンホールに落ちてしまう。
落ちた先にネズミみたいな人がいて、「今は君の代わりの者が代役をしているよ」という話をされる。
そして代役(コイツもネズミみたいな人)の行動が映し出される。
代役はかなり有能なようで、冷えていた家族との仲も温かくしており、仕事でも活躍をしている。
それを見せられた主人公は、(皆から笑顔でバイバイされる映像が頭に浮かんで)「コイツと人生代わってもいいかな…」ということを言ってしまう。
そうするとネズミの人の笑い顔(これが非常に怖い)と共に主人公がネズミにされてしまう。
行き場のない主人公は仕方なく家に帰るが、鳴き声を聞かれた妻にネズミの駆除剤を撒かれてしまう。
そして代役が高笑いをして終了。
これぞ世にも奇妙な物語らしいというか、非常に後味の悪いお話でした。それゆえに強烈に脳裏に刻まれているわけですが。
そしてこれなんかはまさしく「他人に人生を渡した」という話そのものなんですよね。
人間は誰だって自分が可愛いし、自分の人生のことを一番に考えて生きているわけです。
使えるものがあるなら自分のいいように使うに決まっている。
つまり、境界線がなければ人はどこまでも他人の領域を侵略していく。
だからこそ、自分の領域、自分の「ここまでは許せるけど、これ以上は許せない」という境界線は「自分が」引かなければいけません。(この境界線の話もこの本で出てきます。)
人生はうまくいかないことの連続。
時にはやりきれなくなることもあるでしょう。
それでも。うまくいかなくても。自分の人生は自分で決めていく。ここだけは決意として自分で持っておいた方がよいでしょう。
他人に人生の主導権を握られていても、それで自分が幸せだと思えればそれはそれでいいと思います。
ですがその状態でいる限り、常に「言い訳をする余地」ができてしまう。
「〇〇に言われたから……」というやつですね。
この状態で生き続けて楽しいか?という話です。
全部が全部自分で判断しろ、という話ではありません。
もちろんそれが理想だと思いますが、実際に全てを自分だけで判断していくにはエネルギーも、調べたり考えたりする時間も多量に必要。現実的ではないですね。
そこまでいかずとも、自分の大事だと思うところは自分で判断して進めていった方が満足した生き方になるだろう、という話です。
では、自分が大事だと思うことは何だろうか?
それを見つけ出すためにも、今回の「エッセンシャル思考」のお話は役立つのではないかな。と思います。
まとめ
本日は「エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする」についてお話しいたしました。
タイパが云々言うと意識高い系がーとか言われそうですが、そういうのを抜きにしてこういった新しい考え方を取り入れるというのは非常に大事だと感じております。
本当に大事なものを見つけ出して打ち込んでいきたい、という方は一読してみてくださいませ。
さて…そろそろお時間です。
またのご面会、心よりお待ちしております。
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