「自分の絵柄」ってなんだろな?~偉大な芸術家たちから見る絵柄~

アイキャッチ 作業法・思考


こんばんは。
ピクセルアニメクリエイターのおかか容疑者でございます。


最近の技術変革により、Xでも連日ホットな話題が続いておりますね。
先日は「絵柄の私物化」という、なかなかにスパイシーなワードがトレンド入りしておりました。
それに関連してか、ワタシのタイムラインでも絵柄に関しての話題を多く見かけまして。

自分の絵には特徴的な絵柄がない…




と悩んでいる方も少なくはないでしょう。

かくいうワタシも自分なりの絵柄というものは確立しておりません。永遠のドッターワナビー・おかか容疑者をよろしくお願いします。


ただ、個人的には

絵柄ってある程度は「自然にできていく」ものでは?

と思っております。



さて。
悩み事がある場合、まずは過去の事例を調べてみるのが一番。
というわけで今回は「歴史に名を残す偉大な芸術家」の方を3名ご紹介いたします。彼らの作品を実際に見ながら「絵柄」についてのお話をしていきたいなと。
今回のお話を聞いたら小さな悩みは吹き飛ぶこと間違いなし(?)。

では、楽しんでまいりましょう。



※先に話しておきますと、ワタシも芸術の知識がある人間ではございませんので、彼らの生い立ちやらについては特に語れません。
「こういう芸術家たちの作品があるんだなあ~」というのを気楽に眺めてみる形でご一緒いただけますと幸いです。




当記事は美術作品等の画像を掲載しております。全ての画像で著作権侵害が起きないように配慮をしております。
もし問題がございましたら、お手数ですがご一報いただけますようお願いいたします。

参考記事:
Flickrで著作権を侵害しないクリエイティブ・コモンズ(CC)の画像を探してブログに貼る方法
Wikipediaの画像は著作権フリーではない!|富岡那恵


パブロ・ピカソ

まず一人目のご紹介。
世界的ビッグネームであるパブロ・ピカソ氏です。本名がめっちゃ長いことで有名ですね。


ピカソといえばまずはコレ。と言えるのが



Guernica-Pablo Picasso | Chris Trebble

「ゲルニカ」、そしてキュビズムでしょう。
あまりにも強烈で現実離れしたこの作品は、一度見たら忘れられないと思われます。
母校では体育館だったかにこの絵が飾ってあってイヤでも目に入りましたねえ。



というわけで「ピカソと言えばキュビズム」として、ずっとこのような絵を描いていた

……のかというと、全くそんなことはなく。




The Blind Man’s Meal 丨 Matthew Benjamin Coleman

初期の作品にはこの「盲人の食事」のような、青色を基調とした暗めの作品が多かったようです。
親友を亡くした悲しみでメンタル的にしんどかったようで。ピカソの「青の時代」と呼ばれております。




At The Lapin Agile 丨 Lluís Ribes Mateu

そこから活動を続けていく中で一転、この「ラパン・アジル」のような赤色を基調とした明るい作風へと絵が変化していきます。
この頃はピカソの「バラ色の時代」
絵を描いていたら身長が伸びてアトリエができて彼女もできました!というピカソウッキウキの時代なわけですね。ウッキウキなのが作風にモロに現れています。リア充がよ。




そして生活が安定してきた頃、例の「キュビズム」に取り組んでいくわけです。

どうやらこの頃にカメラが普及してきたようで。
それまでは単に現実そっくりの絵が描けることが画家としてのステータスにもなっていたのですが、それを求めるなら現実をそのまま撮影できるカメラの方が優秀なわけですね。
このままでは画家の価値が下がっていってしまう。どうするか?という、「絵でしか表現できないものを求める」必要性があったのです。

その中でピカソとジョルジュ・ブラックはキュビズムという方法に行き着きました。
学校で習ったかと思いますが、キュビズムは「平面の中に複数の視点からの見え方を入れ込んだ描き方」です。
ご存知のように、カメラは一つの視点からしか表現できません。こうすることで差別化を図っていると言えますね。

参考サイト:
「キュビズム」とはどのような芸術運動?その特徴を元大学教員がわかりやすく解説 – Study-Z



で、そのままキュビズムを追求し続けていった……わけでもなく。




Portrait d’Olga dans un fauteuil | Lluís Ribes Mateu

そこからピカソはさらに画風の変更をしていきます。
こちらの「肘掛け椅子に座るオルガの肖像」のような、重厚感のある作品を描いていくようになりました。モデルになっているオルガはピカソの奥さんです。

ここからピカソの「新古典主義の時代」となります。
新古典主義とは「昔のギリシャ・ローマあたりの時代の芸術をまた作ろうぜ」という思想とのことで。「昔の芸術作品」と言われて我々が思い浮かべる作品のような威厳というか、力強さが見られる作品でありますな。






Girl Before a Mirror 丨 Thomas Hawk

そしてさらにピカソは期待を裏切らずまたもや画風をチェンジ。


シュルレアリスムをやろう!という運動が広がってきたようで。ピカソはこちらにもチャレンジしていくことになります。
こちらの「鏡の前の少女」に代表される、これまたキュビズムにも近い現実離れ感を持った作品が現れてきます。

シュルレアリスムというのは「無意識」とか「夢」の世界を絵にしようという思想。
現実には存在しない世界ですので、これもカメラで捉えることができませんね。そういう意味でも画家の意義を見出すための思想と言えるのではないでしょうか。


参考:
シュルレアリスムって?初心者でも大丈夫。作品の楽しみ方をやさしく解説!《やさしいアートの話 2》 | thisismedia





というわけで、かの天才、パブロ・ピカソも画家活動を続けている中でめちゃめちゃ絵柄(画風)が変化していっております。
最初期の「青の時代」からこうも変わるとは誰も(もちろん当人も)思っていなかったでしょう。
それでもこうして後世まで名も作品も残り、非常に高い評価を得続けてきているわけです。





オディロン・ルドン

では二人目。
「黒(ノワール)の画家」という格好良すぎる異名をお持ちのオディロン・ルドン氏です。個人的にはレンブラントの「光の魔術師」が最強クラス。



ルドンは小さい頃から病弱。
どこかへ出かけていったりするよりも、とにかく庭などでゆったりしているのが好き。というかなりの引きこもり体質だったようです。
しかし若い頃から美術の才を見せ、アトリエで絵の勉強をしていたとのこと。

そのアトリエの先生(スタニスラス・ゴラン)からの、


「私に対するゴランの最初の忠告は、私自身がすでに芸術家なのであるということ、私の感受性と理性がそれを認めるのでなければ、たった一本の鉛筆の線といえども引いてはならないということだった」

オディロン・ルドン(八坂書房)

というメッセージは非常に強烈ですね。
「画家だ。お前は画家になるのだ!」という思いを子供時代から受けることで、プロ意識が非常に高かったのだろうと思われます。そして白いキャンバスのジャングルで戦うことに





Peyrelebade-Landscape 丨 ROBERT HUFFSTUTTER

Odilon Redon, L’automne en Médoc 丨LME Press

ルドンは初期の頃はこの「ペールルバードの小径」「メドックの秋」のように、自然や風景をテーマにした作品を主として描いております。(先のゴラン先生も風景画家とのことです)
ペールルバードやメドック地区はルドンが幼少期から長らく過ごしている地域。様々な色彩を使って、地元の風景を見事に描き出しておりますな。


が。





Artwork by Odilon Redon 丨 Free Public Domain Illustrations by rawpixel

Odilon Redon – Araignée 丨 Nicolas

次第にこのような作品(上作品はこのページによると「花による微笑みと恐ろしいサイクロプス」、下作品は「笑う蜘蛛」)を描くようになります。
初見だとだいぶドキッとしますよね。


ルドンはこのように鉛筆画や木炭画を好むようになり、シンプルな白と黒で表現された作品を多く描きました。
これについて本人は、「私のインスピレーションはいつも木炭画として現れる」「私にとってより良い表現手段」という言葉を残しております。
何かこだわりがあって木炭画を選んだというより、必然的にこれがベストだ、となったのでしょうね。
本人はこの時代の作品を「暗示の芸術」と呼んでいるようです。



このようにルドンは白黒で見るものを少々ギョッとさせる作品を生み出していき、冒頭のように「黒の画家」として徐々に有名になっていくわけです。
とりわけ「眼」を主題とした作品が目立ちますね。
本人も眼のことはかなり意識しているようで、「真実を見抜く能力を持たない人は、不完全な知性しか持たない」という言葉を残しています。手厳しいね。





Flower Clouds by Odilon Redon 丨 Free Public Domain Illustrations by rawpixel

しかし晩年、先のモノクロな作品から一転。
この「花のような雲」のように非常に色彩豊かな作品を手掛けるようになっていきます。
(貼付できる画像が見つからなかったのですが、ルドンが色彩を重視するようになった転換点とも言われている「眼を閉じて」という作品も非常に素晴らしいです。)


理由はよくわかりませんが、本人は「黒はひどく私を疲れさせる」という事を書いており、多くの色を使った作品にくつろぎを感じているそうです。
ともあれ、こうしてルドンは絵柄・画風ともに一気に変化を遂げました。




Flowers in a Vase by Odilon Redon 丨 Free Public Domain Illustrations by rawpixel

そして最晩年は「花」をモチーフにした作品を多く残しております。
ルドン自身も花に囲まれた生活を送っていたそうで、自身の創造力を表現するのに適したモチーフとなったのだろう、と言われております。
「非常に身近なものが自分の求めていたものだった」、というのはどんな時代でもよくあることなのですね。



モノクロのおどろおどろしい作品。
色彩豊かな輝かしい作品。
どちらもルドンの素晴らしい作品であり、絵柄(画風)を真逆に変化させたことでむしろお互いが引き立つ様にも見えます。





ピート・モンドリアン

では最後の三人目。
大トリを務められるのはこの御方しかいないでしょう。

抽象的絵画が今 実戦でバクハツする!!ピート・モンドリアン氏だー!!!




Amsterdam - Stedelijk Museum - Piet Mondrian (1872-1944) - Windmill (A 2996) c. 1917.jpg
Txllxt TxllxT投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

Piet Mondriaan Drydock at Durgerdam, oil sketch c. 1898-1899 oil paint - cardboard, 36,5 x 46 cm Kunstmuseum Den Haag, The Hague, no. 104-1971 - 0334262 A208.jpg
Txllxt TxllxT投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

モンドリアンもまた風景を描くことを好んだ画家。
若い頃は「風車」「ドゥルガーダムの乾ドック」のような、(おそらく)実際の風景ながら、見たままではない大胆なイメージを入れ込んだ作品を残しております。

モンドリアンはゴッホのような「自分が知覚している世界」をそのまま表現しようとした芸術家に強く惹かれており、そのためこのような作品を描いたとのこと。




このように、初期から独特な雰囲気を持つ作品を描くモンドリアンですが。
画家活動を続ける中であの「キュビズム」に出会ってしまいます。
「これは凄い!」と感銘を受けたモンドリアンはパリに移りキュビズムに没頭。
そして「もっとキュビズムを突き詰めたい」という考えを持つようになります。
少々雲向きが怪しくなってきました。




モンドリアンは、芸術とは「風景画のように個別の自然を描くのではなく、その中から普遍的な美を抽出する作業である」と考えていた。

モンドリアンと抽象絵画(世界の名画シリーズ)(楽しく読む名作出版会)

という考えでもって作品を作り続けたモンドリアンからは、どんどん抽象的な作品が生み出されていきます。




Piet Mondrian’s The Flowering Apple Tree (1912) famous painting.  丨 Free Public Domain Illustrations by rawpixel

(「花盛りの林檎の木」)
これが。





mondrian, piet, compo w color areas 丨 derek visser

こうなって。




Piet Mondrian, (51721466243).jpg
Ángel M. Felicísimo from Mérida, España – Piet Mondrian,, CC 表示 2.0, リンクによる

(「コンポジションA、赤と青」)

Bild Nr. 1 (1925) - Piet Mondrian (Kunsthaus Zürich).jpg
Paradise Chronicle投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, リンクによる

こうじゃ。



モンドリアンのこのような線と特定の色のみでできている作品は「コンポジション」と呼ばれております。
垂直線は「男性的・精神的なもの」、水平線は「女性的・物質的なもの」を表現している、とのことです。





わからん…………






凡夫たるワタシがこの作品を見たとき、凄まじい衝撃を受けたことは言うまでもないでしょう。
きっとアナタも同じだと思います。


先のピカソだったり、有名どころですとセザンヌなども絵画を抽象的に描いていた画家ですが、彼らの作品はまだ描かれているものが見ている側にも何となくはわかりますよね。
モンドリアンはさらにそこを突き詰めた。描く対象というものすらもはや定めず、ただ概念的なものを描いていっています。




piet mondrian 丨 Nathalie Cone

そしてモンドリアンの作品はこの「ブロードウェイ・ブギウギ」のような、先のコンポジションシリーズに比べると少し楽しさが感じられるようなものになっていきます。
タイトルに入っているようにブギウギ音楽にハマっていたそうで、そこから作品のスタイルも少し変化させているようです。





Piet Mondrian’s Victory Boogie Woogie (1944) famous painting. 丨 Free Public Domain Illustrations by rawpixel

しかしながら、モンドリアンの作品はこちらの「ヴィクトリー・ブギウギ」が遺作となってしまったようです。
この作品ではさらに四角形のサイズが不規則になっていたり、新たなスタイルへのチャレンジが見られるだけに、「この後もっと大きな変化をしていたのかもしれない」と考えると惜しいものがありますね。





現世だったら芸術界のトップインフルエンサーになっていただろうなあ。
(コチラで作ったネタ画像です。)



余談ながら、先に引用しました本「モンドリアンと抽象絵画(世界の名画シリーズ)」では、他にも「ワシリー・カンディンスキー」、「カジミール・マレーヴィチ」、「ロベール・ドローネ」という3人の抽象画家が少しだけですが紹介されております。
こちらもモンドリアンに負けず劣らず衝撃的な作品が展開されておりますので、ご興味があれば是非に。





まとめ

(普段のまとめは全体を軽くまとめる程度ですが、今回はここでもちょっとだけ語らせていただきますね。)


今回はワタシの印象に残っている芸術家たちの作品を見ながら、「自分の絵柄」について考えてみよう、というお話でした。
どちらかと言えば絵柄よりも画風(スタイル)の変化、という方が正しいかもしれませんな。
とはいえそれにより結果的に絵柄も変化しておりますのでご容赦ください。



で、ワタシなりの現在の結論ですが。
絵柄というのは

①絵を描き続けている中での技量の変化
②自分が伝えたいものの変化


によって、その都度最適なものに(ある程度は)自然と変わっていくものではないか。というものです。



①については連載漫画が特にわかりやすいでしょうか。
漫画家さんなども、長期連載している方は「初期と後期の絵柄が変わる」というのは往々にしてよくあることです。
伝える物語はそこまで大きく変化しませんが、単純に描き続けるうちに画力が上がって、より表現力のある絵が描けるようになったと。

②についてはただいま見てまいりました芸術家たちですね。
いずれも何かしらの要因(芸術運動、他作品からの影響など)によって「こういうものを描かないといけないのでは」という意志を持って、今までの絵柄とは全く違う絵を描くようになりました。





「徹底的に誰かの絵の真似をする。とにかく真似し続けても残ってしまうものが個性。」
という言葉を聞いたことがございます。
「自分の絵柄を作ろう」と固執せず、描いていくうちに自然となっているもの。
それこそが本物の絵柄なのではないか。

とワタシは思います。



なので、



とにかくどんどん描け!!!!


さて…そろそろお時間です。
またのご面会、心よりお待ちしております。

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